友人のお姉さんだった。
とんでもない美人であった。
女優の深津絵里に似ていて、姿勢はぴんと伸びて、百合の花のようだった。
彼女がいるだけで少し空気がきれいになる気すらした。
友人と一緒にカラオケに来て、べろべろに飲んだくれていたけど、それでも美貌は萎れないのだった。
私の親も含め、大人は彼女へ冷ややかな目線を向けていた。
35歳にもなって、未婚だったからだ。
「あの子はいつまでも遊んでばっかりで、一体どうするつもりなんだろうねえ」
と、田舎では噂されるのだった。
そんなの、余計なお世話じゃね? と思いながら、私は自分の恋愛に夢中だった。
結婚したいと思ったのが、40歳だったら笑われた
そんな彼女が「結婚したい」と言い出したのは、40歳になってからだった。
そして、「田舎の40歳女性」となった高嶺の花は、婚活に苦戦した。
あるときは、
「今日会った人の歯がないの。さすがに婚活するなら治療してから挑むべきでしょ」と怒り、
別の日には「初デートでココイチ(CoCo壱番屋)ってなめてるの?」とキレた。
そんな彼女を、周囲は「やっぱりね」という顔でバカにしていた。
だから早く結婚しろと言ったのに。
40歳にもなって、まともな正社員の男と結婚したいだなんて高望みばっかり言って。
なんだい歯がないくらい。そんなの結婚してから、治療してあげればいいのよ。
そして、私も内心でバカだと思っていた。
あんなに美人なのに、40歳までその魅力を結婚へ使わず温存するなんてもったいない。
婚活で苦労するだろうなんてこと、10年も前にはわかってたでしょ、と。
私はやっぱり目の前の恋愛に夢中で、彼女の立ち位置なんて考えたこともなくて、東京に住んだこともなかった。
「結婚しない権利」を知ってから
そして、私は東京にやってきた。
40歳の未婚女性が、ゴロゴロいる都市に。
彼女たちの多くは「やっぱり結婚したい」と一度は婚活してみて、
「こんな相手と結婚するくらいなら独身がいい」と自分の道を選んで、
幸せそうに生きているおひとり様たちだった。
そこで初めて結婚が、できる・できないの2択問題ではなく
「できる・できない」と「する・しない」の軸があると気づいた。
結婚できるけど、しない人もいれば、結婚したくなくても、する人がいる。
別に東京が天国だったわけではない。
大学で知り合ったとあるお嬢様は、政略結婚で富豪と結婚した。
結婚してからも夫婦は同居していない。子供だけは体外受精で成したらしい。
男児を3年以内に産まなければ、離縁されると言われたから産んだそうな。
彼女は家族写真をいちどもSNSヘアップしない。けっして。
自分が幸せか不幸かは、自分が決めてあげればいい
そう、独身女の幸せもあれば、既婚女性の不幸もある。
ただ、田舎の不幸はなんだかとってもバリエーションが貧弱で、
40歳独身だった百合の花は、自動的に不幸な女にされてしまうのだった。
そして、私も彼女のことを不幸だと決めつけて、
「結婚したいなら、早めに決めればよかったのに」と石を投げたのだ。
具体的な言葉で攻撃しなくても、目線で、空気で、攻撃したのだ。
“いい年して未婚”の人には、少なくとも当時
自分が幸せか不幸かを決める権限すら奪われていて、私も「そういうものだ」と思い込んでいた。
結婚しないだけで「不幸」にされてしまう場所がある。
それを別の場所から冷静に見られるまで、10年以上かかってしまった。
だから何度でもいうのだ。
もうそういうの、やめない? と。
私たちは自分が幸せか不幸か、自分で決めたっていいのだから。
わたしも結婚したけれど、結婚生活は楽しいよ。
でもそれは、どんなときでも人生のオプションで、不幸に感じるなら手放していいものなのだ。