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私の親って「毒親だったんだ」と気づいてから幸せな結婚をするまでの物語

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こんにちは、トイアンナです。
物心ついてすぐに「私の親って毒親かも」と気づくケースって結構まれで、「もしかしてウチって変?」と思うのが、早くても10代、遅ければ40代なんてこともあります。

なんせ、私たちは多数の家庭を比較し、料金プランを選ぶように「じゃ、この家で育ちたいです」と決めて生まれていないわけで、自分の家庭を標準だと思って育つのですよね。ですから、「いや、何かおかしいな?」と思うのが、遅れてしまうケースが多いのです。

目次

毒親を恨んでいい、じゃなくて「レッツ恨んでやる!」くらいでよい

自分が親にされてきたことに傷ついたと思うなら、それは絶対に無視してはいけない感情です。
なにしろ、あなたの人生で、あなたより大事な人間はこの世にいないわけです。
世界一大事なあなたの生きざまを侵されたわけで、たとえそれが親だろうがきょうだいだろうが、「きさま! 私の領土を蹂躙しおって!」と怒っていい。

むしろ、「親に対して、自分の気持ちを伝えるのが怖い」というのが、親から侵害されて続けてきた人の典型的なパターンのひとつ。

  • 私は親から愛されていなかったんじゃないか、とずっと不安だった。だから、私のこと、愛してなかったんでしょ? なんて怖くて聞けない。
  • 何を言ってもどうせ怒鳴られるだけだから、傷ついたなんていってもキレられるだけだ。
  • もし思ったことを伝えて、そのせいで関係が悪化したら、周りにも迷惑がかかる。

なんて思いで、頭がグルグルして動けなくなる……なんてのが、毒親を持つ子のあるあるだと思うのです。

だからこそ「私をなんで大事にしてくれなかったんだ! お前のせいで傷ついたぞ!」とキレられるのは、毒親育ちの回復に必要なプロセスなのです。
だって、親への恐怖に打ち勝ち、「自分の感じていたこと」に目を向けられた証だから。

だから、この文章を読んで「私って、傷ついていたって言っていいんだ」と思った方は、メモ帳にぜひ、あなたの傷つきを書いてみてください。
あのとき許せなかったこと、ぐっとこらえたこと、どうせ分かってもらえないだろうから……と諦めたことを、よみがえらせてください。

怒っても泣いてもいいから、あなたの気持ちを大事にする、ということを始めてください。

親を恨みつくした後に、「終わり」が来る

そうやって、親への怒りを発散していくと、いつか「終わり」が来ます。
終わりというのは、決して許すという行為ではありません。
別に許してもいいのですが、どちらかというと「どうでもよくなる」が近いかもしれません。

親は確かに私の人生をめちゃくちゃにしてくれたけれども、私はこれからの人生を生きていい。
親はひどい人間だけれども、これ以上私を傷つけることはできない。
親は最低だったかもしれないけれども、私は幸せになるのでもうどうでもいい。

それが「終わり」です。
終わりが来たら、毒親から解放されます。
もう、親はあなたの人生に入っていけません。

しかし、この場所までたどり着くには、一度傷つけられた自分に気づいて、怒って、恨まないといけないのです。
恨みのフェーズを超えないと、傷に麻酔を打って生きているだけになってしまう。
変に「私は傷ついていない」「あんな親、見返してやる」なんて言っているうちは、
やっぱりまだジクジクと痛みが残っていて、時折登場する親のメッセージや電話1本に動揺してしまう。

そのままたとえば誰かと結婚したって、やっぱり麻酔が切れると人生が痛くて、
あれほど憎んでいた親と同じような相手を選んでしまったり、親の口出しに影響を受けて、伴侶を大事にできなかったりする。

だから、一回怒り狂う、ってとても大事なこと。
世界で一番大事な大事なあなたを守るために、「何してくれとんじゃ!」と怒ってあげる。
そうすると、過去の傷ついたあなたが、どこかで救われていくのです。

私はこの流れを「親を他人にする」と言っています。
自分の支配者で、加害者だった親へ怒りつくして、怒りが尽きて、距離を置けるようになる。
そこには「他人になった、どうでもいい親」がいて、もう自分を侵害できなくなる。

親が他人になってからの結婚は、何があっても何とかなる

自分がそうやって、毒親と距離を置いて復活したプロセスを思い起こすと、
別に毒親とケリがついたって、自分の男を見る目が劇的に良くなるわけでもないし、踏んだり蹴ったりは相変わらずあるし、つらい日も楽しい日もあるわけです……が、
親を他人にできてからは、「まあ、自分がダメな日もあるし、それでも私は大丈夫」と言えるようになりました。

この、「自分は何があっても、なんだかんだ大丈夫感」というのは、毒親持ちが失いがちなマインドで。
私がこの感覚を得られたのは、カウンセリングを終えた23歳のころでした。

それまでの私は、恋愛をしてきたけれども、付き合ってきた相手へ「親がくれなかった愛情の補填」を求めていたし、
やっぱり似たような感情の相手とばかり付き合って、お互いに凹と凹でへこみが埋まらず、飢えにもがいていました。あのまま結婚していたら、私は絶対に早く死んでいたと思います。

愛に飢えているときのほうが、必死に相手を探すので伴侶はできやすい。
でもそれは、のどが渇いているのに塩水を飲むようなもので、
親にしてほしかったことを、相手に求めていたらやっぱりお互いしんどくて。

だから、まずは「本当に愛がほしかった相手」への恨みつらみを、メモに書きなぐるところからのスタートなのだと思います。
大丈夫。毒親持ちでも、幸せになれるよ。
ただ、それは「素敵な相手と結婚したから幸せ」じゃなくて、「結婚していても、していなくても幸せな私」になれるから、なのです。

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この記事を書いた人

1987年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外資メーカーで勤務してのち、独立。 婚活予備校「魔女のサバト」主催者のひとり。書籍『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門(イースト・プレス)』『やっぱり結婚しなきゃ! と思ったら読む本: 35歳からのナチュ婚のすすめ』(河出書房)など多数。

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