婚活予備校「魔女のサバト」の受講生が語る、「婚活と自分探し」
“自分が”一緒にいて幸せだと思える相手を“自分で”探す婚活という場において、自分を知ることはとても重要である。
正確には「相手探し」と言うよりも、出会った異性が自分にとってピッタリの人かどうかを見分けるのに必要な判断基準を持つことが大切で、そのために、まず自分を知る必要があり、自分を知るためには自分探しをしなければならない。そして多くの人が実は自分のことをあまりよく分かっていないんじゃないかと思っている。私自身がそうだったように。
私はアプリで出会った男性と付き合い始めてちょうど2ヶ月後のクリスマスイブ当日に彼と音信不通になり、藁にもすがる思いで魔女のサバトの門を叩いた。
入会後、魔女たちの主催する講義やイベントには全出席。魔女たちのアドバイスは (時に疑いの心を持ちながらも)素直に全部取り入れ、素晴らしいと思った先輩たちの行動をこれでもかと真似て、挫けることがあっても自らを奮い立たせて出会いの場に足繁く赴いた結果、入会から9 ヶ月後に今の彼と出会い、「この人だ!」とビビビっときた。
それは直感頼みのビビビではなく、サバトで伝授された自分が本当に必要としている相手像の言語化に真面目に取り組んでいたからこそのビビビである。そして自分が本当に必要としている相手像の明確化・言語化に取り組むにあたり、私には“自分を知ること”すなわち“自分探し”をすること、探した末に掴んだ“自分”を元に、“自分に必要なもの=パートナーに求める譲れないポイント”は何かを把握することがとても重要だった。
インドがなぜ私たちの価値観を変えたり、自分探しができる場所なのか
婚活を通じて自分探しをしたと自負してる私であるが、縁あって価値観が変わると言われる“自分探しの旅”のメッカであるインドに行くことになった。
インド渡航前は「インドに行かなくても自分探しなんてできるっしょ」と、“インド自分探しの旅”を心のどこかで若干冷めた目で捉えていた。しかし実際にインドに行ってみて感じたのは…
インドは価値観を変えるだけのパワーがあります!
インドは“自分を知る”自分探しの大きな助けになりえます!
そのパワー・助けを活かすか否かはその人次第です!
百聞は一見にしかずである。ただ、日本にいても婚活を通じて“自分探し”はできるという考えはインドから帰ってきた今も全く変わらない。むしろ確信に変わっている。なぜなら、インドと婚活の場はある意味似たような状況・環境であることをインドで実感してきたからだ。
まずはインドについて語りたい。
たくさんの旅系Youtuberが言っているのが「インドはカオス」。例えば、街の至る所でたくさんの野犬が寝ている。牛やヤギなどの野生動物たちが、道路の真ん中でさえも自分らのペースを守ってのそのそ歩き、車やバイクがその合間を縫って走る。
交通量の多いところでは流石に道中央に動物はいないが、かなりのスピードで走る車たちの合間を縫うように人間が横断する。日本人は大縄に入れない子どものように横断のタイミングが掴めず、現地の人についていかねば道の向こう側には渡れない。
私を含めて日本人の多くがインドの電車やバスは窓の外や屋根の上にも人が溢れかえっているというイメージを抱くと思う。インド人に言わせれば20-30年前の光景らしいが、2024年の今でも当たらずとも遠からず、私たちのイメージに近い光景が至る所で見られる。一方でデリーなどの都市部、大企業が集まるエリアは、日本でいうところの丸の内や六本木のような華やかさとオシャンな空気が溢れている。
何がカオスなのか。きっと日本ではありえない光景や出来事、ごちゃごちゃとキラキラとのギャップ、そしてそこに生きるインド人たち(全員ではない)のハングリーさ、力強さなど、 私たち日本人の理解の枠の外のことがマルっとひっくるめられてカオスと表現されるのだと思う。つまりインドカオスとは「自分にとって当たり前ではなく、パッとは理解が難しい状況」のことを指しているのではないか。
そのカオス=自分にとっての“非”当たり前の中に自分の身を置くこと、そして自分の中に湧き起こる感情に目を向けること、そうすることで逆に自分にとっての“当たり前”とは何かに気づけるのだと思う。そしてその“当たり前”は無意識に自分の周りにあるもの、自らが無意識に選ぶものであり、それは自分が「心地よいと感じるもの」「快適と感じるもの」なのではないだろうか。無意識かつ自分にとって当たり前すぎるからこそ普段の生活の中では気づきづらいのだと感じる。そして自分にとっての当たり前を知ることが“自分探し”とも言えるのではないだろうか。
そこに至るにはカオスの中に身を置くことが効果的ではあるものの、それだけでは不十分で、自分の中に湧き上がる感情をしっかり感じてしっかり分析することが必須なのである。
以上がインドに行った私が考える、インドが価値観を変え、自分探しができる場所と言われる理由である。
インドはやっぱりすごい! が、インドに行かなくても自分探しできるのが婚活
やっと本題の婚活の話に移る。私が経験した婚活の現場を振り返ってみると、そこには多種多様な男性がいた。気遣いができて分別をわきまえ、一緒に楽しい時間を過ごすことができた素敵な男性もいた。一方で違和感を感じたり、嫌な想いをすることもあった。
例えば、ヤリモク。既婚者。遅刻魔。批判魔。初回からこちらの反応に困るような重い話をする男。自分の話(主に自慢)しかしない男。食事のマナーが著しく悪い男。私には優しいのに店員さんには冷ややかで厳しい男。私があげた旅行のお土産をぐちゃぐちゃに丸めてカバンに突っ込んだ男……。
私が付き合った音信不通男もそうだ。短期間の関係だとしても私の価値観ではお付き合いした相手に対して何も言わずに姿をくらますことなんてありえない(そんな自分のお尻も拭けないような奴がちゃんと周りからの信頼を得て仕事ができているのか甚だ疑問である)。
そう、ここに挙げた男性たちは私にとってネガティブな方向で理解し難い存在、カオス的存在だったのだ。良い、悪いではない。「私が」理解し難い男性。「私は」嫌な思いをした。もちろん彼らにネガティブな感情を抱かない女性もいるだろう。でも「自分は」ネガティブな思いをした。婚活においては世間の声ではなくてあくまで「自分」が大事なのだと思っている。だって“自分にピッタリの相手を見つけて仲良く幸せな時間を過ごしていくこと”こそが婚活の目的なのだから。
私は婚活中、魔女のサバトという場を活用して私的カオス男性と出会った際には、「なぜ自分は違和感を感じたのか」「なぜ自分は嫌な想いをしたのか」徹底的に自分と会話した。それを繰り返し、積み重ねていくと自分にとって何が不快なのかの根源が見えてくるようになる。その不快の根源の逆にあるものが自分にとっての「快適」「心地よいもの」であり、それを携えた男性こそ、この先の長い人生を共に支え合い一緒に歩んでいく自分にぴったりのパートナーになり得るのだ。
反対に一緒にいて楽しいと感じた男性に対しても単に「楽しかった」で終わらずに「なぜ楽しかったのか」をとことん深掘った。インドでも日本では体験しないことでも受け入れられることは多々あった。ポジティブな感情からも自分にとっての“当たり前”を見つけることが可能であるし、自分が知らなかった自分の“許容範囲”も知ることができる。
出会いの場に足繁く通うこと、そしてポジティブ・ネガティブ問わず、自分の中に湧き起こる感情をしっかりと拾いあげて分析すること。これが婚活の場で私が実践していた“自分探し”である。
これまで楽しい想いはそのままに、嫌な想いは何かで紛らわしてきた私には、この自分の感情分析が自分・自分の本当の願望・相手に求めることを知る上で重要であった。インドほどのインパクトはなくとも、婚活に活かす情報は婚活の場から得ればいいのである。
婚活をしてると楽しいだけではない。よく知らない相手と会うのは疲れるし、嫌な想いをすることもある。でも自分の感覚・感情が動いた時がチャンスであり、自分にぴったりの相手を見つける足掛かりになると思えれば今日の行動も俄然意味のあることになる。
そして最後に。
“自分探し”ができた私が今、思うことがある。「自分を心の底から理解して最後まで大切にできるのは自分だけ」であると。どんな人間が大切な自分の横にいるべき相手なのか。自分の感情をヒントにして今一度、深く考えて欲しいなと強く思う。