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結婚に懐疑的だった私が2回も結婚した訳

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20年前にアラサーだった私は、お年頃だというのに結婚に対して懐疑的だった。

25歳で起業した為会社を大きくすることばかり考えていて、家には寝に帰るだけのような生活だったから、という背景もある。サボテンすら枯らしている私に誰かの妻になったり、親になったり資格は一ミリも見当たらず、その当時休みも無いのに、義理実家との付き合いとかママ友の付き合いがここにプラスされるなんて「曲芸かよ!」としか思えなかった。

何より、結婚の意味そのものが皆目見当つかなかったのだ。

男女を法で縛る事によって無くしてしまうであろう関係性や情動みたいなものを惜しむ気持ちの方が、国や世間に夫婦と認められる事よりずっと強かった。部屋は汚いが一応自立した私と、自立したお相手がデートする、それでいいじゃないか、と。

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「結婚」は人生の後回し案件だった

ところが、会社が軌道に乗り始め、新卒も採用し、資本政策に取り掛かろうとしたタイミングで妊娠が発覚。

当時付き合っていた同じベンチャー経営者の彼は喜び、「僕が育てていい?」なんて言ってくれたりしたし、産まない理由も無かったので働く妊婦生活が始まった。

それでも、籍を入れる事に躊躇いがあり、ズルズルと引き延ばしていたのだが、妊娠6か月を過ぎたころに色々調べたら「どうやらお腹の子供にはメリットがありそうだ」と、妊娠で物理的にも重い腰をやっと上げるに至る。

出産前日まで働いていたせいか、発狂しそうなくらいの難産で、陣痛から56時間の耐久レース。生まれた娘も長すぎた出産により熱が出てしまったらしく、抱くことも叶わずNICU一時預かりに。私はと言えば、看護師に言われるままに初の母乳を届けるため、一人、部屋で自分のおっぱいを絞らされていた。が、痛いし固いし、初乳というやつが全然出てこない。真夜中に自分のおっぱいを揉んでる姿は滑稽以外の何ものでもなかったけれど、ひーひー言いながら頑張るしかなった。しかし、母乳は頑なに出ないのだった。

ところが次の日、娘との初お目見えの際、小さな小さな娘をこの手で抱っこした途端、私の両乳房から大量の母乳が噴射する。あまりの量で足首まで滴り落ちたほどだ。

油田を掘り当てたかのようなドーパミンが脳内に出た後思ったのは、「私って動物だったんだ・・・」という事。忘れてたというより、人間様として見て見ぬふりをしていたけれど、我が子を抱いた途端におっぱい供給し始める私は自然界の一部なんだとまざまざと突き付けられたのだ。

慌てて娘に飲ませると、何も教えていないというのに、こくこくと音を立てて娘は力強く飲んでいた。その姿こそ、初めて目の当たりにする野生そのもので、ずっと仕事しかしてこなかった私には衝撃が過ぎた。その生まれたての小さな生き物は必死に生きようとしていたのだ。私の手の中で。

人生終盤に「あの日を境に自分は変わった」と振り返るのはきっとこの場面だろうと思う。自分より圧倒的に大事な存在が爆誕した、それは瞬間だったから。

娘が生まれて見えてきた「結婚」のビジョン

メリットだデメリットだと「結婚」について散々理屈をこねていた私が、娘降臨後、違う価値観を持つようになったから、当時の夫も面食らった事だろう。しかし、会社があるのはお互いさまで、土日も夜も仕事や付き合いで帰ってこない彼といつしか喧嘩ばかりの生活になっていき、離婚。今思えば、娘に与えたいと思うものが、私と彼のペアではどうしても与えられなくて私が勝手にいらだっていただけかもしれない。そして、彼も娘ができた事で、彼のやり方で頑張ろうとしていたのかもしれないが、ビジョンを持ってしまった私にはこの結婚生活は続けられなかった。

シングルマザー生活はなかなかに平和だった。しかし、当時2歳の娘と公園に行ったりすると、お父さんに肩車されたりしてる子をうらやましそうに見てる娘の姿にいたたまれなくなったりしたものだった。だから私は、「今度結婚する場合」のお相手チェックに「子供に肩車したり、遊んでくれる男性」という項目を胸に刻む。

現夫との出会い

仕事上色々な男性と出会うが、どうしても男同士のような関係になりがちだったから、私の婚活は一向に進まなかった。私が出会う男性は、元夫のような仕事好きな、忙しい、男性的な男性ばかりだったから尚更に。そして、漏れなく私も男性的な人間であり、我が家には母性が圧倒的に欠けていた。

娘と一緒に参加したイベントで隣に座った現夫は、最初に自分の事を「ニートみたいなものです」と挨拶した。「ニート」という意味よりも、横文字であるという事に反応したのは、仲の良い経営者仲間達に「川崎貴子の次回のお相手は、経営者とか弁護士とか漢字の職業じゃなく、デザイナーとかクリエイターとか横文字の職業の男性」と、アドバイスをもらっていたからだった。

結局何をしてるのかと聞けば「コンテンポラリーダンサー」というさっぱり意味のわからない横文字職業だったのだが、女性的な物腰の、柔和な話し方に、隣に居て落ち着きを感じたのを覚えている。その後席も離れて違う人達と飲んでいたら、現夫は何人かいた子供達にダンスを教えたり、遊んでくれたりしていた。そして、娘を、肩車したのだった。

「見つけた!」と思った私は、彼に速攻で電話番号を聞き、デートにこぎつけ、自衛隊の勧誘よろしく「キミ、いいね!我が家にジョインしないかい?」と肩を叩いた。あれから14年。夫が一生懸命育てた娘は今高校2年生になり、再婚後に生まれた次女は小学4年生だ。

夫みたいな変わった男性に私が出会える確率はどれくらいだったのだろうか?出会っていたとしても接点が無さ過ぎて、すれ違っていただけに違いない。ただ、「横文字」とか「母性的」とか「肩車」などのフックがあった事によって私達の縁は手繰り寄せられたのだと思っている。

そんな自分の経験があるので、婚活勉強会「魔女のサバト」の生徒たちには、お相手に希望する特徴を3つ挙げようと指導している。例えば「理系、眼鏡、細身」など。選挙公約もたくさん並べると覚えていられないが、「消費税減税、少子化対策、憲法改正」ぐらいだと記憶に残る。それを言いふらすだけで「うちの会社の理系、眼鏡、細身を紹介するよ」と、友人知人も見つけやすいのだ。何より、自分自身に刻まれた公約なので、対象者を見つけた時、私がそうであったようにチーターのような速さで射止める事ができるので勧めだ。

出会いによって価値観は変わり、人生も変わる。

娘という人に出会って、ずっとうだうだ言ってた私が、2度目の結婚をアグレッシブに取りに行ったという昔話。

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この記事を書いた人

リントス株式会社代表取締役。25歳で人材コンサルティング会社ジョヤンテを設立。女性のエンパワーメントに力を入れた事業を運営。2016年には共働き志向の男女向け婚活サービス「キャリ婚」を創設。現在はベランダ株式会社取締役、株式会社ninoyaの取締役、株式会社インプレスマネージの社外取締役を兼任。婚活予備校「魔女のサバト」代表。著書『やっぱり結婚しなきゃ! と思ったら読む本: 35歳からのナチュ婚のすすめ』『愛は技術』『結婚したい女子のためのハンティング・レッスン」など。

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